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  • 執筆者の写真L'escargot Design

昭和45年の食事




練馬区の地域講座に通っています。

毎回、区の様々な事業や施設のことを学んだり、見学したり、体験したりする、練馬のことをもっと知るための講座で、先日は、区の健康推進課の方の“ねりまの「ちょっと昔ご飯と今のご飯」”というテーマのお話を聞いてきました。 まず会場に入って目についたのが、前のほうに並べられていた献立例の模型。この献立は昭和22年、35年、45年、平成17年の4つの年代で、それぞれの年の日本の国民栄誉調査の食品摂取量から割り出したもの。あとでうかがったところ、食品摂取量をもとに、さらに練馬区の当時の生活を、区民の皆さんから「日中は農作業がある」などヒアリングし、おかずのボリュームもリアリティを考慮して構成したという、まったくの練馬区オリジナルなんだとか。食材の量もきちんと指定してつくってもらったそうです。 ただ単に数字で見るよりも格段にわかりやすく、講座の始まる前や休み時間も、この献立のまわりは人だかりができて、話も大いに盛り上がっていました。ビジュアルの力ってすごいです(考案した練馬区健康推進課もすごい!)。

それとやっぱり、皆、ご飯の話は大好きですね(笑)。


国民栄養調査が始まったのが昭和20年。練馬区の誕生した昭和22年当時は男性の平均寿命が50.06歳。この頃では、練馬区に住んでいた方と、地方の方とでだいぶ差があった(地方のほうが食生活が豊かだった)と、講座が始まる前に受講生も交えて、おしゃべりに花が咲きました。献立は麦ごはんと、野菜のちょっと入ったみそ汁、めざし、漬け物。

学校給食は、この頃始まりました。


昭和35年は米の大豊作だったそうで、模型では、麦ごはんの中の米の割合が少し上がってます(すごいディテール!)。この4年後に開催されたのが東京オリンピック。この辺から食の西洋化が始まったのだそうです。


そして、大阪万博が開催された昭和45年。ご飯にけんちん汁、さばの味噌煮、お浸し。実はこの頃の食事が一番健康的で、理想的な和食なのだそう。この年に何歳だったか、というのも食生活を探るうえでポイント、というお話は興味深かったです。この年以降は冷凍食品の生産量が急増したり、ハンバーガーチェーンやレトルト食品も普及。また、多くの野菜が一年中とれるようになり、食生活が大きく変わりました。


食育基本法が制定された平成17年。ご飯、鶏の唐揚げ、ポテトのチーズ焼き、マヨネーズサラダ。全体的に油が多くなっています。 今は食の外部化がすすみ、子どもの弧食も問題となっています。練馬区では食育の一貫として、子どもの頃にだしのおいしさと、伝統料理(和食)のおいしさを教える、という活動をしていて、それによって、若い時に脂いっぱいの食事をしていても、エネルギーがあまりいらない年頃になったら、自然に健康的な食事に戻れるのだそうです。なんだかものすごく納得できるお話でした。 それで昭和45年に何歳だったか、というのは結構ポイントだったんですね。 練馬区のこの講座では、今まで区の歴史を学んだり、自然や都市型農業、ごみ処理施設など、いろいろ見学してきました。こちらでも、ぼちぼちご紹介していきたいと思っています。 ねりまの食育

(この記事は講座でのお話と、この冊子を参考にさせていただきました)

ねりまの健康づくり協力店(練馬区内で、栄養情報提供や栄養成分表示をしているお店) 

☆追加の質問に快く答えてくださった健康推進課の皆さん、ありがとうございました!


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レスカルゴデザインオフィスは、化粧品・エステなどの美容の他、食品・健康関連も得意分野。女性・ファミリーをターゲットにしたポスター、チラシ、パンフレット、POPなど広告・販促物の企画・デザイン制作を承っています。

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